2011年2月 5日 (土)

老いらく雑記帖

暮の28日に名女優・デコちゃんこと高峰秀子さんが亡くなったとの報道があった。思い切りのよい役者さんで好きな俳優の1人だったことと、年齢が私と同じ大正13年生まれだったことも有りショックだった。往年の名役者が順次あの世に旅立って行かれるのは淋しい限りである。私事で恐縮ながら此処3年来男3人女2人の5人兄弟の内実兄と実弟の2人をあの世に見送ってしまい、心淋しい身辺に加えて尚更気持ちの滅入る此の頃である。

此の頃のテレビ番組に出てくるタレントたちの騒々しさは一昔前の貫禄を備えた役者たちと違い、出演番組が次週も又見たいという気をおこさせるほどの魅力を持ち合わせないのは如何したことであろう。大正・昭和うまれの芸人たちが次々と画面に姿を見せなくなってしまって、これ等の大正、昭和の世代が遠くなってしまったことも一因ではないだろうか。

吾々の日常生活面でもすべて簡略に処置されることが幅を利かせて、機械化され人情の機微の入り込む余地が狭められてきていたが、最近になって懐古趣味が見直されてきたことは老いらくの身にとっては有難い限りなのである。羽田空港の国際化に伴い出現した江戸回顧横丁の混雑振りなどは微笑ましい話題では無いだろうか。もっとも腰痛により歩行にも難儀している身としてはニュース画面で見るだけで、現場に出掛けられないことが残念である。

一昔前の対面商売の機微などが見直されての結果であろうが、人と人との触れあう機微が温かい人間関係を甦らせてくれるのではないだろうか。明治はおろか大正も昭和でさえも遠くなってしまった世情に回顧ムードにより人間関係に温かさが戻ってくる兆しを見つけてホットしている此の頃である。

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2011年1月12日 (水)

鏡開き

今日11日は正月行事の内の鏡開きであることに気ずいた。三方に乗せて飾られていたお供え餅を叩き割ってお汁粉や焼き餅にして食したものである。最近は正真正銘のお供え餅を飾る家庭は少なくなり、お供え餅をかたどった飾り物に変身しているので、鏡開きの行事など行うのは限られた業界や宗教関係に於いてのみの行事となってしまたようである。

我が家でも孫の成長に合わせて正月の行事も行ってきたが、2/3年前から飾り物で間に合わせているのが実情である。私自身が子供の頃は毎年鏡開きには大きな火鉢の餅網に載せてこんがりと焼いて食べたものである。兄弟の中で私の焼き具合が絶品であるとおだてられて一手に引き受けてこんがり焼きあげたものである。

鏡開きにとどまらず正月行事や飾りつけ全般も手抜きとなり、年ごとに簡素化されてゆくのも高齢化に伴いやむを得ない傾向であろうが、日本古来の風習が忘れられ消えてゆくことは残念である。

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思いやり・友愛

新しい歳にかわっても、世の中は不況からくる若者の就職難にくわえて殺人・傷害・詐欺・etc殺伐として夢も希望も持てない世情に、明るい話題は無いに等しいとさえ思われるのである。こんな中でさきごろ群馬の方で新入学の子供達に匿名でランドセルを贈った篤志家の明るい話題があったことは大方の記憶に残っている筈である。往年の人気漫画タイガーマスクのヒーロー・伊達直人を名乗り人目を避けての善行がヨリ話題性をひろげたものであろう。この匿名贈与に共鳴する篤志家が沖縄、長崎を始め全国8箇所に亘り伊達直人名でおくりものが続いていることはほほえましくも清々しい話題となっているのである。

これ等の善行話題につけても思い返されるのは、鳩山前総理が母親から何年間にも亘り10数億円ものおこずかい(?)を受けていながら法律上の贈与税を納めずに過ごしてきたことを摘発され6億余りもの税金を納入した件の後始末の話題である。

贈与を受けながら贈与税を納入せずに経過したにも拘らず、未納税金として後刻納入した初期の何年分かは時効の適用により1億6千万円もの返戻があったのだそうである。友愛を標榜する鳩山氏のことだから曰く付きの巨額の返戻金は慈善事業にでも寄付するのではないかと話し合ったのであるが、未だに何ら音沙汰なしなのは如何したことであろうか。友愛を口にする鳩山氏も友愛や思いやりとは程遠い問題なのであろうか。一般市井人の善意にも触発されることも無いのだろうか

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2011年1月 9日 (日)

福来る

今は亡き父親は苦労人であった為か子供の頃から「汗水流して手にしたお金でなければ手元に残らない」との戒めを守り、宝くじは滅多に購入したことは無い。昨年暮れも押し詰まった頃紛失した財布を拾得して交番に届けてくださった方があり、謝礼の後手元に7千円程の金額が残ることになった。折から歳末の宝くじの販売最終日だったので、なかったものとして宝くじを購入した。

めったに購入した事も無いし当たるなど考えもしないのでそのままにしておいたが、ヒョンなことから当選番号の突合せをして見た所、内1枚が4等1万円に当選していたのである。番号の突合せをしてみたことが幸運をもたらしてくれたのである。私は常日頃盲導犬の普及には貧者の一灯を贈っているので何れ募金の時まで預かっておいて寄付させて貰うつもりである。

宝くじに当選したのはこれで2度目なのである。昔々のことながら30年ぐらい前大晦日の夜中に(元日早朝かも)電話のベルに起こされて電話口にでると、ドスの利いた声で借金返済の督促の脅しの間違い電話だったのである。正月早々縁起でもないと憤懣やる方も無いひとときだったが、元日の新聞紙上に記載されていた宝くじの当選番号の中にめったに購入した事も無い宝くじの一致番号があったのである。何等か忘れたが5万円当選していたのである。当時の5万円は結構遣いでがあったことも気憶しているのである。

それから2/3回宝くじを購入してみたが無駄になり、それ以来購入は打ち切りとしてきたのである。これから又遊びの積りで購入してみようかと考えたりしているところである。

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米寿祝い

先ごろの日記に記載したが、昔流の数え年でゆけば私も今年は
88歳の米寿なのだそうである。言われてもまだピンと来なかったが、今日現役時代の勤務会社から米寿祝いとして金一万円のVISAカードが贈られてきた。誠に有難い話である。今回の該当者は私を含めて13名おられるのだそうである。

振り返ってみれば戦後混乱期の昭和21年から定年卒業まで30有余年勤め上げた会社であり、未だに会社の名称を聞いただけで往時のことどもが甦ってきて、懐かしい思い出が駆け巡るほどの会社人間になりきっているのである。現役時代会社で机を並べた先・同輩たちの大半は別世界の人となり同期入社の仲間で現存者は1名のみになってしまったのである。

白寿の99歳で尚元気にしておられる大先輩が1名おられるが、私もあやかって元気に過ごしたいものと考えている。然しながらこればかりはそれこそ寿命であり、何時如何なるかは神のみぞ知ると言わざるをえず、一寸先は不明なのである。少なくとも満88歳の米寿である来年までは元気に過ごしたいものである。

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2011年1月 1日 (土)

初詣

2011年の正月初詣に行ってただ今帰宅した。昔は明治神宮・川崎大師・成田山新勝寺・佐野厄除け大師・・・etcと随分アチコチにまで足を伸ばしたものだった。歳とともに何年か前から近くの氏神であるF神社詣りで済ますようになってしまった。

この神社は自宅から徒歩圏内にあり、お節料理などの酒肴を頂いた後の腹ごなしに最適の散歩コースだったのである。近年体調をくずしてからは杖を友の初参りだったが、一昨年あたりからは杖だけでは歩き切れず車で送迎してもらう羽目となってしまったのである。正面の参道は10数段の階段がありしんどいので、フラットの裏参道から参詣するようにしているが、2/3年前からこの階段のほうは延々と行列をして参詣するようになってしまったのである。

神社からの指導ではないと思うが長々と続く一列の後尾について階段を利用することもしんどいので、裏口から入るので列に割り込みもならず本殿の階段は上らず階下で手を合わせることにしたので恒例のお賽銭を奉納することはかなわず仕舞いなのである。テントを張っての各種お札を受ける窓口も1人の神官が担当しているのでこちらもまた行列なのである。正月早々愚痴るわけでもないが日本人の行列好きにもウンザリした一齣だった。

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歳末身辺雑記

愈々今年も残すところあと2日になってしまった。歳が明けると昔流に数え年で言えば、88歳の米寿なのだそうである。祝い事は早い方が佳いとのことで、新年を迎えると現役時代に勤務していた会社から、お祝い品をおくられるとのことである。米寿に該当するOBが13名居られるのだそうである。年2回あるOB会も最近は体調不良のためご無沙汰続きで残念至極のおもいである。

体調不良は今に始まったものではないが、今年になってから一段と進行したようである。5月に箱根のプリンスホテルを訪れたとき、勧められて初めて車椅子を利用して以来、度々、長い廊下などを歩く必要のある場合には、備え付けの車椅子を利用させてもらうようになってしまったのである。家の近辺の散歩もシルバーカーなしでは歩行困難であり、唯一の外出である医者通いもタクシーと妻の介護なしでは難しくなってしまったのである。

こんな状況なので春の花見・秋の紅葉見物など四季の移り変わりも殆んど居宅周りの見物で済ますほかなくなってしまった。
医者に通いながら同時並行で整体師の来診もうけているが、快方には程遠く最近では靴下を履くことも足の爪をきることも、
人手を煩わすほどの情け無い仕儀になってしまった。斯様な体調なので何事も手のろで時間がかかり身支度等も健常者の倍ぐらいの時間がかかるのである。

昔は新年を迎えるにあたり家の内外の清掃も、正月を迎える迎春の設えも率先して行動したものであるが、全て年毎に手抜きとなり簡単に済ますことばかり考えるようになってしまった。人寄せが苦に為らない方だったので、正月初出勤の日などには友人一団体をひきつれてのご帰還となり賑やかな正月をすごしたものだったが,老いらくの今となっては不要になった何人前もの陶磁器とともに過ぎし日の賑わいを懐かしく思い返すのみである。

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2010年12月21日 (火)

金のなる木

今夏の酷暑続きにはウンザリさせられたが、明日は冬至の季節ともなれば結構寒さの身にしみる陽気になるものである。自然界も紅葉の季節を過ぎて冬ざれの眺めに変わってきた。自然界の変化と歩調をそろえるように国の内外も行きつ戻りつしながら国民不在の情け無い政情をさらけ出しているのである。

期待の大きかった民主党内閣も思いのほかゴタゴタ続のしまらない内閣で嫌気が指してきていたが、吾々年金生活者には何とか避けて通りたい年金支給額引き下げが決定したらしいのである。物価スライド制が原則とのことなのでやむを得ないのかも知れないが、懸案の筈だった議員報酬の議会出席日割り支給の案件は如何なったのであろう。国民には期待を持たせながら年の瀬には泣きを見させておいて、議員自らは金のなる木にしがみついているとは情け無い公僕たちである。

金のなる木と言う肉厚の葉に覆われたベンケイソウ科の植物があるが、今年は気候温暖化のせいか我が家の庭先にある金のなる木の花がただ今満開なのである。樹高1m余りの見事な様相となり何年ぶりかで花つきも良く、花の付いていない枝先は皆無といってもよい状態なのである。名は態を現すとはよく言ったもので寒さの中頑張って満艦飾の如く開花を続けている「金のなる木」にあやかって明るい気持ちで新春を迎えたいものである。

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2010年12月16日 (木)

続々・隗よりはじめよ

政治向きのことには常に『ゴマメの歯軋り』のむなしさを味あわさせられてきたので日記への投稿は中止として来たのであるが、11年度の公的年金支給についての減額云々が採り上げられている様なので一言言わせてもらいたいと思うのである。

昨日の夕刊に記載された細川厚労相の記者会見発言として「物価が下がり、現役世代の賃金が下がっており,法律通りに下がることは止むを得ない」支給額の引き下げも已む無しとのことであった。年金支給が「物価スライド」の仕組みと為っていてその法則に基づいて減額されるのであれば一応納得せざるを得ないのかも知れないが、政治とは国民の目線に立って施行されるべきではないだろうか。

国民にしわ寄せする前に、去る7月ごろ問題視されて公明党、みんなの党あたりから発言のあった議員歳費の『登院の日割り計算による支給の法制化提言』のその後の動向は如何なったのであろう?。議員自身の財布の目減りする案件はそのまま棚上げ放置して置いて、国民の老後唯一の生活資金の方は減額させるとは許し難いのである。

今朝の新聞紙面では「年金支給据え置き検討」を菅首相が厚労相に指示したとあったので、一応前向きの検討はされるであろうが、議員歳費支給問題はそのまま取り上げもしないのは納得行かないのである。国民の荷重となる案件を実施する前に政治家は常に自らその荷重を担って後に国民に負担を求めるべきではないだろうか。この姿勢こそがマサシク「先ず隗より初めよ」の」教訓なのではないだろうか

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2010年12月 9日 (木)

愛の車椅子

過日区役所から案内のあった長寿健康診査を受診する為かかりつけのT病院を訪れた。この病院は最近病棟を増築して健診の為には新館の方まで長い廊下を歩かねばならないので、玄関から車椅子を使わせてもらうことにした。いつでも10台ぐらいの車椅子が待機しているのであるが、赤い色の目立つ車椅子を使わせてもらった。使用中に気ずいたのであるが器具の側面に小さなプレートが取り付けてあってこの車椅子は嘗て阪神タイガースで外野手として活動した赤星憲広氏の寄贈によるものであることを知り、華々しい活躍の陰で斯様な善行を重ねる野球選手のいることに感動を覚えて帰宅した。

それから数日経ってからある日テレビのチャンネルをつけると全く偶然に赤星憲広氏が以前から車椅子の寄贈を続けてきてこれまでに301台もの台数を各機関に贈りつづけている事を知ったのである。すごく感動して調べてみると現役時代同氏は2003年以降、その年に記録した盗塁数と同数の車椅子を養護施設や病院に寄贈してきていたのだそうである。

善行のきっかけは肢体不自由なファンの為に球場で試合が観戦できる特別な車椅子を作ったことに始まり、その後も足の不自由なファンのために贈りつづけてきたのだそうである。2004年社会福祉活動に貢献したプロ野球選手に贈られるゴールデンスピリット賞を受賞したのだそうである。引退後も車椅子贈呈の社会福祉活動は続けるとのことに感動を新たにするとともに億単位の高額な金が動く球界のひとたちに見習って欲しい思いを強く感じたものである。

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