« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月

2011年1月12日 (水)

鏡開き

今日11日は正月行事の内の鏡開きであることに気ずいた。三方に乗せて飾られていたお供え餅を叩き割ってお汁粉や焼き餅にして食したものである。最近は正真正銘のお供え餅を飾る家庭は少なくなり、お供え餅をかたどった飾り物に変身しているので、鏡開きの行事など行うのは限られた業界や宗教関係に於いてのみの行事となってしまたようである。

我が家でも孫の成長に合わせて正月の行事も行ってきたが、2/3年前から飾り物で間に合わせているのが実情である。私自身が子供の頃は毎年鏡開きには大きな火鉢の餅網に載せてこんがりと焼いて食べたものである。兄弟の中で私の焼き具合が絶品であるとおだてられて一手に引き受けてこんがり焼きあげたものである。

鏡開きにとどまらず正月行事や飾りつけ全般も手抜きとなり、年ごとに簡素化されてゆくのも高齢化に伴いやむを得ない傾向であろうが、日本古来の風習が忘れられ消えてゆくことは残念である。

|

思いやり・友愛

新しい歳にかわっても、世の中は不況からくる若者の就職難にくわえて殺人・傷害・詐欺・etc殺伐として夢も希望も持てない世情に、明るい話題は無いに等しいとさえ思われるのである。こんな中でさきごろ群馬の方で新入学の子供達に匿名でランドセルを贈った篤志家の明るい話題があったことは大方の記憶に残っている筈である。往年の人気漫画タイガーマスクのヒーロー・伊達直人を名乗り人目を避けての善行がヨリ話題性をひろげたものであろう。この匿名贈与に共鳴する篤志家が沖縄、長崎を始め全国8箇所に亘り伊達直人名でおくりものが続いていることはほほえましくも清々しい話題となっているのである。

これ等の善行話題につけても思い返されるのは、鳩山前総理が母親から何年間にも亘り10数億円ものおこずかい(?)を受けていながら法律上の贈与税を納めずに過ごしてきたことを摘発され6億余りもの税金を納入した件の後始末の話題である。

贈与を受けながら贈与税を納入せずに経過したにも拘らず、未納税金として後刻納入した初期の何年分かは時効の適用により1億6千万円もの返戻があったのだそうである。友愛を標榜する鳩山氏のことだから曰く付きの巨額の返戻金は慈善事業にでも寄付するのではないかと話し合ったのであるが、未だに何ら音沙汰なしなのは如何したことであろうか。友愛を口にする鳩山氏も友愛や思いやりとは程遠い問題なのであろうか。一般市井人の善意にも触発されることも無いのだろうか

|

2011年1月 9日 (日)

福来る

今は亡き父親は苦労人であった為か子供の頃から「汗水流して手にしたお金でなければ手元に残らない」との戒めを守り、宝くじは滅多に購入したことは無い。昨年暮れも押し詰まった頃紛失した財布を拾得して交番に届けてくださった方があり、謝礼の後手元に7千円程の金額が残ることになった。折から歳末の宝くじの販売最終日だったので、なかったものとして宝くじを購入した。

めったに購入した事も無いし当たるなど考えもしないのでそのままにしておいたが、ヒョンなことから当選番号の突合せをして見た所、内1枚が4等1万円に当選していたのである。番号の突合せをしてみたことが幸運をもたらしてくれたのである。私は常日頃盲導犬の普及には貧者の一灯を贈っているので何れ募金の時まで預かっておいて寄付させて貰うつもりである。

宝くじに当選したのはこれで2度目なのである。昔々のことながら30年ぐらい前大晦日の夜中に(元日早朝かも)電話のベルに起こされて電話口にでると、ドスの利いた声で借金返済の督促の脅しの間違い電話だったのである。正月早々縁起でもないと憤懣やる方も無いひとときだったが、元日の新聞紙上に記載されていた宝くじの当選番号の中にめったに購入した事も無い宝くじの一致番号があったのである。何等か忘れたが5万円当選していたのである。当時の5万円は結構遣いでがあったことも気憶しているのである。

それから2/3回宝くじを購入してみたが無駄になり、それ以来購入は打ち切りとしてきたのである。これから又遊びの積りで購入してみようかと考えたりしているところである。

|

米寿祝い

先ごろの日記に記載したが、昔流の数え年でゆけば私も今年は
88歳の米寿なのだそうである。言われてもまだピンと来なかったが、今日現役時代の勤務会社から米寿祝いとして金一万円のVISAカードが贈られてきた。誠に有難い話である。今回の該当者は私を含めて13名おられるのだそうである。

振り返ってみれば戦後混乱期の昭和21年から定年卒業まで30有余年勤め上げた会社であり、未だに会社の名称を聞いただけで往時のことどもが甦ってきて、懐かしい思い出が駆け巡るほどの会社人間になりきっているのである。現役時代会社で机を並べた先・同輩たちの大半は別世界の人となり同期入社の仲間で現存者は1名のみになってしまったのである。

白寿の99歳で尚元気にしておられる大先輩が1名おられるが、私もあやかって元気に過ごしたいものと考えている。然しながらこればかりはそれこそ寿命であり、何時如何なるかは神のみぞ知ると言わざるをえず、一寸先は不明なのである。少なくとも満88歳の米寿である来年までは元気に過ごしたいものである。

|

2011年1月 1日 (土)

初詣

2011年の正月初詣に行ってただ今帰宅した。昔は明治神宮・川崎大師・成田山新勝寺・佐野厄除け大師・・・etcと随分アチコチにまで足を伸ばしたものだった。歳とともに何年か前から近くの氏神であるF神社詣りで済ますようになってしまった。

この神社は自宅から徒歩圏内にあり、お節料理などの酒肴を頂いた後の腹ごなしに最適の散歩コースだったのである。近年体調をくずしてからは杖を友の初参りだったが、一昨年あたりからは杖だけでは歩き切れず車で送迎してもらう羽目となってしまったのである。正面の参道は10数段の階段がありしんどいので、フラットの裏参道から参詣するようにしているが、2/3年前からこの階段のほうは延々と行列をして参詣するようになってしまったのである。

神社からの指導ではないと思うが長々と続く一列の後尾について階段を利用することもしんどいので、裏口から入るので列に割り込みもならず本殿の階段は上らず階下で手を合わせることにしたので恒例のお賽銭を奉納することはかなわず仕舞いなのである。テントを張っての各種お札を受ける窓口も1人の神官が担当しているのでこちらもまた行列なのである。正月早々愚痴るわけでもないが日本人の行列好きにもウンザリした一齣だった。

|

歳末身辺雑記

愈々今年も残すところあと2日になってしまった。歳が明けると昔流に数え年で言えば、88歳の米寿なのだそうである。祝い事は早い方が佳いとのことで、新年を迎えると現役時代に勤務していた会社から、お祝い品をおくられるとのことである。米寿に該当するOBが13名居られるのだそうである。年2回あるOB会も最近は体調不良のためご無沙汰続きで残念至極のおもいである。

体調不良は今に始まったものではないが、今年になってから一段と進行したようである。5月に箱根のプリンスホテルを訪れたとき、勧められて初めて車椅子を利用して以来、度々、長い廊下などを歩く必要のある場合には、備え付けの車椅子を利用させてもらうようになってしまったのである。家の近辺の散歩もシルバーカーなしでは歩行困難であり、唯一の外出である医者通いもタクシーと妻の介護なしでは難しくなってしまったのである。

こんな状況なので春の花見・秋の紅葉見物など四季の移り変わりも殆んど居宅周りの見物で済ますほかなくなってしまった。
医者に通いながら同時並行で整体師の来診もうけているが、快方には程遠く最近では靴下を履くことも足の爪をきることも、
人手を煩わすほどの情け無い仕儀になってしまった。斯様な体調なので何事も手のろで時間がかかり身支度等も健常者の倍ぐらいの時間がかかるのである。

昔は新年を迎えるにあたり家の内外の清掃も、正月を迎える迎春の設えも率先して行動したものであるが、全て年毎に手抜きとなり簡単に済ますことばかり考えるようになってしまった。人寄せが苦に為らない方だったので、正月初出勤の日などには友人一団体をひきつれてのご帰還となり賑やかな正月をすごしたものだったが,老いらくの今となっては不要になった何人前もの陶磁器とともに過ぎし日の賑わいを懐かしく思い返すのみである。

|

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »