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2009年11月

2009年11月30日 (月)

選ぶ権利

今日は整形外科の定期検診日だったので、T総合病院での診察も終わり帰宅すべく正面玄関のタクシー乗り場で順番をまっていた。タクシー乗り場が見える場所にタクシーの待機場所が設けられていて、順番で乗車スタートすると次の車が横付けになって乗車発車の段取りになっているのである。新しく来院の患者を降ろしたタクシーは空車で発車するか待機場所の最後尾に回って順番を待つかのどちらかになっているようである。

私たちの順番が来る前に新しい来院者を乗せて玄関前に到着したタクシーが客を降ろすと、横合いから1人のシニア男性がこの車のドアをたたき乗車を強要したのである。運転手は順番を待つように諭して発車しようとしてもこの男性は納得せず、「客にもえらぶ権利が有るのだ」として食い下がり車の発車を阻害して遂に乗車してしまったのである。運転手は已む無くこの男を乗客として発車したのである。

このやり取りをみていた乗車待ちの人々は皆、分別も弁えてしかるべきシニア男性の無法ぶりに呆れていたが、たとえ些細な順番待ちの問題であっても若い世代を躾ける立場に有る年配者の無法は許せない問題であると思う。「選ぶ権利」の前に国民一般の常識が有ることを弁える必要が有ることに気づかねばなら無いのではないだろうか

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2009年11月29日 (日)

若かったあの頃

今日は56回目の結婚記念日である。'53.11.29の挙式の日から数えて56年も経ったとは感無量である。例年この日の前後に温泉宿泊旅行をしてきたが、今年は小生が腰痛に悩まされて体調芳しからず中止としたので、一日早く昨日自宅で子供達が晩餐を祝ってくれた。旅行は妻が旅仲間の夫人達と12月3日から2泊3日の伊豆山温泉旅行に出掛けることにした。’86年から今春まで続いた現役時代の友人4夫妻との旅も男性二人の死去を始として男性が脱落して妻たち3人の旅になってしまったことは残念である。

妻が整理好きの所為もあり結婚当時のメモ・レシートetc.を保存していたのでひも解いてみると、半世紀以上も前の暮しぶりが仄見えて懐かしい思い出が甦ってきた。当時の結婚祝いは特別の関係者は別として1人当たり1000円が普通だった様で親しかった旅仲間の面々からの祝儀も夫々1000円づつ頂いていたのである。挙式は虎ノ門の共済会館(現在は消滅)だったが披露宴の料理は一人当たり1300円の福クラスで当時としてはかなり立派な宴席だったような覚えがある。

新婚旅行は修善寺・今井浜・湯河原の3泊4日の伊豆廻りだったが、当時はまだ食糧事情も主食の米穀が配給統制下にあり、旅行も米持参ならば宿泊料も割引される方式になっていたこと-も思い出した。当時はまだ衣料品も手に入りにくかったが、スプリングコートを旅行のためにオーダーメイドしたことも思い出した。なによりも住宅事情が極端に悪かっので、新所帯は中央線阿佐ヶ谷地区にある個人住宅の8畳・3畳の2部屋の間借り生活だった。家主のご夫妻も良い人だったがキッチンが共用だったので妻の気遣いはおもいものだった。2年ほど此処でご厄介になつたが、小さくても戸建ての住まいに移りたいと思い物色中に、現在の世田谷深沢地区に都営の分譲住宅の入居者募集があり運よく当選したのである。

18年間の住宅金融公庫との融資返済が済んだ昭和48年に子供達もそれぞれ個室が必要な年齢になってきたので、建坪43.25坪の家屋に建て替たのである。そのご小生の体調不良もあり家族で話し合った結果、娘一家とのスープの冷めない住まいに建て替えることとなり、平成15年に建て替えるには勿体ない家屋だったが思い切って新しく現在の2所帯住宅に建てかえたのである。その後は加齢現象による体調不良もあり時には自分自身をもてあますほどになってしまい、何かと人手を頼るようになり2所帯住宅にしたことに援けられる日常なのである。

兎にも角にも56回もの結婚記念日を迎えられたのは、先ず第一に妻の優しい助けを始として家族やかかわりのあった皆々の気配りに負うところによるもので深く感謝するものである。どう考えても老い先はそう長くは無いであろうが、周囲の者に迷惑をかける事無く美しく鬼籍に入りたいものと考えているのである。

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2009年11月25日 (水)

生きざま

昨日は去年の暮に鬼籍入りした長兄の一周忌が行われるというので実家の菩提寺に直行すべくAM7:30ころに自宅を車で出発した。最近の体調も考えて私は参列せず妻に代参してもらう積りでいたが、娘夫妻が自分の予定を変更して自動車で送ってくれるというのに甘えてお願いする事にしたのである。

途中高速の渋滞を懸念して早めに出発したのであるが、渋滞にあうこともなく予定より早めに到着して安堵した。走行中天気も晴天となり快適であったが、特に下町の押上げ地区に建設中のスカイツリーの基部ガ200㍍余り建設が進捗している現況に目を見張った。完成すればこの3倍もの高層になることを考えてそれまで元気でいられるかとの不安がよぎったものである。只狭い東京で望むべくもないが、高層建築物の立つ地域が余りにも低層家屋が密集しているのには全景として馴染めないものを感じた。願わくはもっと広々とした場所に建てられれば景観も一層見事なものになっただろうなどと考えたりした。

予定時刻に法要ははじめられたが、極く身内だけの参列だったので滞りない運びとなり、好天のもと墓前にお参りして無事終了できたことは幸いだった。私の歩行は杖をついても長く歩くことは難儀だったので車の中で待機している積りだったが、これまでと違い墓苑内の通路などが見違えるように整備されて、歩き易くなっていたので墓前まで歩き父母の霊や兄の霊に参ることが出来た。

その後市内の鮨処で一同会食の席に臨んだが施主の甥も50歳前半の年齢になり、91歳の長姉を始として年寄りの目立つ席となリ、話題は専ら老いらくの健康話に集中することになった。85歳の私が最も体調不良のようで6歳も年上の長姉がもっとも元気のようだった。98歳で大往生を遂げた父のDNA
を受け継いだのは長姉のみの感が有るほど元気で、100歳まで元気で長生きする事に決めているのにはおどろいたものである。

私は此の頃残された人生をどう生きるかよりもどう死ねるかについて考えるようになってきているので、周りの皆々に迷惑をかける事無く美しく死ぬことのみ考えているので有る。改めて欲しいものもなく暮らしに困ることも無い人生は市井の凡人としては80点ぐらいの生きざまだったような感じで過ごしているのである。

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2009年11月18日 (水)

冬ざれの・・・

俳句の季語に「冬ざれ」と言うことばがあり、冬の時期草木も枯れて荒涼とした様子に使われるようである。拙宅の庭も冬ざれの様子にかわりつつあり、庭の眺めを彩っているのは、終りに近いつわぶきの花の黄色、千両・万両のつぶらな赤・黄の実、くろがねもちや南天の赤い実、洋花アブティロンの赤い花、すがれかけた菊の花ぐらいで他には鉢植えのシャコバサボテン、シクラメンの花ぐらいなものである。

今年は千両・万両の結実の時期も早かったのと野鳥の姿も見かけないので今のところかなり目の保養になっているのである。例年赤い実は殆んど野鳥の餌食となり網をかけて守ったりするのだが、今年は如何したわけか殆んど野鳥が飛来しないのである。アブティロンはこの植物の葉をワンちゃんのメイ&チップが胃もたれの解消の為か時々むさぼるように食べるので3鉢も育てているのだが、割りと花付きの良い植物で目の保養にもなっているのである。原産地はブラジルとかで寒さにも辛抱できるので助かっている。いずれにしても地球温暖化の所為か花木の開花は例年に比べて早いようである。

2年続きで満開だった通称「金のなる木」は今年は蕾の数が少ないので満開の見事さはお預けとなるだろう。この木は数年前伊豆を旅した際湯ヶ島の植物園で小さな鉢植えを記念に買い求めたものだが年毎に大きくなり今では根まわりの太さは35センチも有るおおきさに育っているので、満艦飾に開花した時は素晴らしいながめである。余りにも大きくなりすぎて移動出来ないのが困りものである。写真は千両(左)とアブティロン


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2009年11月16日 (月)

まず隗より始めよ(国会議員)

鳩山内閣の公約として国家予算の無駄ズカイを是正すべく、目下国会に於いて事業仕分けを強行していることは、全く問題なしとはせぬものの従来の自民党政治で累積した無駄ズカイを一掃する方針には大賛成である。事業仕分けの対象となった470件余りの各省庁傘下の事業所は首を洗って待つ状況のようである。我々国民の目からすれば必要不可欠の事業は数える程しかないような感じである。

各省庁各事業所の反論も強硬の様であるが、先にも投稿したが僅か2日間の登院に対して議員ひとりの歳費諸手当が230万円も支給される矛盾に満ちた「国会議員の歳費、旅費及び手当て等に関する法律」こそ真っ先に改訂したらどうだろうか。例えば一週間未満の登院は日割り計算にするとかすればたちまち何億かの支給金額は支出を免れる筈である、。これこそ鳩山民主内閣の標榜する国民の目線にたった明るい政治ではないだろうか。「まず隗より始めよ」を身を以て実践してこそ国民の支援が受けられることを肝に銘じてもらいたいものである

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2009年11月13日 (金)

氏名不詳

嫌な世のなかになったものですネ。テレビでも新聞紙面でも殺人事件の報道は連日絶えることがない。特に女性がしたたかになったのか、男子が意気地なしになったのか女性の犯罪がめだつのである。昔には滅多に見聞きする事などなかった妻の夫殺し・母親のわが子殺しなど平気で犯行を犯す女性の何と多いことか、慄然とさせられるばかりである。

それにしても不可解な報道に釈然としないのは、東西で似たような女性の犯罪が発生していて、夫々問題視されている女性と交際のあった数名の男性が不審死している事件である。いずれもかかわりありと目される女性は別件の詐欺事件などで起訴されているのであるが、氏名は明示されず「女性(34才)」などと氏名不詳の侭報道されているのである。

関係ありと目されていてしかも別件で起訴されていても容疑者である間は氏名は明示出来ないのであろうか。氏名がはっきりすれば新たな証拠資料などが発掘されることもあるのではないだろうか。市井の一般人には理解出来ない事態である

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2009年11月10日 (火)

ケサランパサラン

今朝のテレビ放送で掲記の聞いたことも無い「ケサランパサラン」について報道されていた。山形県の小名部町での取材らしかったが、滅多に見られない物体らしかった。未だに諸説があり動物か植物かも定かで無いらしいのである。形状はタンポポの綿毛のもっと密度の高い、ふわふわの球状で白色の形状はウサギの尻尾のようでもあった。

空中を飛翔してくるらしく地区では縁起の好い物体らしく収納してある桐ハコには寿の記載の有るお宅もあった。無味無臭のお白粉をいれた函に収納しておくとおしろいを食べて生きているらしく一個のケセランパサランが何時の間にか四個に増殖したお宅も有るのだそうである。小名部町では天からふわふわと飛んでくるので「テンサラパサラ」と呼んでいるそうである。

この不思議な物体は縁起が良いらしいので有るが、動物の毛玉との説や植物の花などの冠毛との説など諸説紛々らしく未だに謎の物体として大事にされていることは、現代の荒みきった世相のなかにファンタジックな温もりが感じられて微笑ましい思いに駆られるのである。

この話しで全く相反する現象に出会わしたことを思い出した。40年近く前に名古屋支店勤務だった時、戸建て社宅の玄関脇になんという名称かはわからなかったが、一叢の竹の植え込みがあり毎年落ち葉に悩まされていたが、ある年珍しくも竹の花が咲いたのである。竹の花は60年ぐらい経つと花をつけることがあるらしいが、花の咲いた竹は枯れてしまうので不吉のしるしと聞いて眉をひそめていたが、その竹は枯れることも無く珍しいことと不思議がられたのだった。世の中には不思議な自然現象があるものと懐かしく思いだしたのである。

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2009年11月 9日 (月)

勿体ない!

昨日だったかテレビ番組でコウモリの忘れ物についての報道があった。老いらく頭で記憶数字は定かではないが、多分警視庁傘下の数字と思うが年間の洋傘の忘れ物は38万本だったか大変な数字だったのである。その膨大な忘れ物に対して引き取りに現れた旧持ち主の数は僅かに1140本だったか極めて少ないことも驚きであった。

引き取られなかった洋傘は全て潰されてなにかに転用されるらしかった。他の用事をしながらの聞きかじりだったので数字はじめ全てに亘り定かではないが大多数はビニール傘らしい。ビニール傘が極めて廉価に入手できるので忘れてもそのまま放置されるらしいのである。コンビ二の従業者に聞いた所では店頭に忘れても引き取りに来る客は皆無に近く、100本堪ると1万円の引取り賃を払って業者に持っていって貰うのだそうである。いずれにしても誠に勿体ない話しであるが、他に妙案もないそうであり、「勿体ない」の言葉が世界中をひとり歩きする現在、何か妙案は無いものだろか。

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2009年11月 4日 (水)

祝祭日

今日・11月3日は文化の日として国民の祝祭日に制定されている。この日は昔から天候の特異日として言い伝えられ今日の秋晴れの如く必ず晴天になるのだった。現在の祝祭日は年間幾日あるのかオールドシニアの頭では改めて数えなおさねば即座に判断しかねるように変化してしまっている。戦前の教育を受けてきた高齢者たちの子ども時代には国家の祝日と皇室の大祭日の併称として
   四方拝       1月1日
   紀元節       2月11日
   春季皇霊祭     3月21日頃
   天長節       4月29日
   秋季皇霊祭     9月23日頃
   神嘗祭       10月17日
   明治節       11月3日
   新嘗祭       11月23日
が国民の祝日であり学校は祝典の式があるだけだった。私の在籍した小学校は男子師範学校の付属小学校だったので、式後教室で打ちものの記念の菓子が配布された。はがき大の大きさで交差した日の丸と祝いの文字が浮き出しになっていて蓋付の四角の箱におさめられていた。こんなこともあってこれらの祝日が待たれたものだった。明治節は明治維新を成し遂げた偉大なる明治天皇の誕生日だった記憶があり、神嘗祭はその年に収穫した米を天皇が神前にそなえる日であり、新嘗祭は天皇が新米を召し上がる日を祝う祝日だった筈でである。

何時からかはっきりとはしないが、最近は建国記念日とか春分の日とかに名称は変わり、敬老の日まで制定されているのは有難いが、以前のように9月15日と決まった日のほうが老人の頭には煩わしくなくて良いような気がするが如何だろうか。昔は祝祭日には学校は勿論のこと、各家庭でも軒先に日の丸の国旗を掲揚したものだったが、最近は各家庭の国旗掲揚はほとんど目にする事もなくなってしまったのは残念である。形式に拘る訳ではないが自分の国のシンボルの日章旗を尊崇する心がけは子供の時から肌身に染み付かせる教育が必要なのではないだろうか。

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2009年11月 1日 (日)

初茸(はつたけ)

今朝枕元のラジオから千葉県香取市在住のSさんとアナウンサーとの初茸についての会話がながされてきた。Sさん宅は3代100年からの旧家らしく庭には赤松・黒松が植栽されているらしいが、その根元に置いた松の盆栽に立派な初茸が生えたのだそうである。鉢の回りにも小さな初茸が何本か生えているらしいが、勿体なくて食べずに胞子が散らばって来年又生えることを期待しているのだそうである。

初茸を目にしたり食べたりした方はそんなにおられないのではないだろうか。私の故郷は北関東M市であるが、子供の頃は季節になると郊外の農村から初茸売りの農家の人が市中を呼び声と共に売り歩いたものである。茸類は昔から「におい松茸味シメジ」といわれて美味きのこの代表として愛でられたものであるが、初茸もまた大変美味であり松茸にもシメジにも負けないだけの貴重な茸だったのである。只・取ってから時間が経つと茸の裏側の襞の部分に緑色の緑青のような変色がはじまるので、収穫したら時間をおかず調理する必要があるのだった。

最近と言うよりも東京に出てきてから全く初茸にお目にかかったことが無いので、初茸と言う茸のことは話題になることもなかったのである。今朝のラジオ放送で初茸の呼称を耳にして子供の頃、初茸狩りに連れて行ってもらったことなども思い出して懐かしい思い出に浸るひと時をもてたことは貴重な時間だった。

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